再びゴミ出しについて考える。
過去に「ゴミ捨てと町会・自治会は関係ない」という記事を書きましたが、写真のようなゴミステーションがあります。
ここで言う「登録者」とは何でしょうか?そして文言を見れば管理者は「△△△町会」であると見えますね。
船橋市役所・クリーン推進課では「ゴミ捨てと町会は関係ない」と明言していますが、現状としては町会が大きく関与しているということではないでしょうか?
町会・自治会は加入義務のない任意団体であり、趣旨に賛同した場合に加入するというのが法律の考え方です。世の中にはさまざまな考え方があって、どれが正しいというものではありません。人はどんな会に入るかを自ら決める権利があるということを「人格権」の1つである「結社の自由」と言います。
仮に町会に加入しないとゴミを捨てることができないとなれば、その「人格権」を著しく侵害することになってしまいます。
賛同していない会、入りたくない会にゴミ捨てのためにしぶしぶ入会する・・・・。
本来あってはいけないことですね。
そもそも、ゴミ回収のシステムに問題があると言えるでしょう。
クリーン推進課も「ゴミステーションは利用者の方で管理と清掃をしてください」と言う張り紙を汚れたステーションなどに貼りつけて行く場合があります。
しかし、非常にあいまいな決め事ではないでしょうか?
利用者の範囲、管理の方法、当番をするとしたらどんな方法で・・・・。
利用者が一堂に会して話し合う場などないのに、どうやって決めろと言うのでしょうか?
また、後から越してきた人は無条件で先人に従えというのも変な話であり、平等ではありませんよね。
市役所は市民にあまねく公平なサービスを提供する義務があるはずです。それなのに場所によって不均衡が生じたり、結局はそこにどんな人が住んでいるかで大きく変わってしまうと言うことは問題です。
「町会・自治会」に管理をさせれば、それが解決できるのではないか?
そのように考えている節が見え隠れします。
公式声明では「町会とゴミ出しは関係ない」と言って置きながら、実際の運用は「町会に任せている」
このダブルスタンダードはいったい何なのでしょうか?
ゴミ当番も不公平なシステムです。
一部のマナーの悪い人の尻拭いをさせられるからです。また家族構成が多様化した現代では、平日の日中に誰もいないという家もあります。そのような家が当番に当たっても管理などできるはずはありません。
その人が帰って来るまで荒れ放題でゴミが散らかるか、見かねて誰かが片づけるかのどちらかでしょう。
「あいまいで根拠のない善意に頼る安易なシステム」
これが現在のゴミ回収の現状です。
それを何とかしようとして町会・自治会に管理をさせようとしていることが、別の問題を生じさせているのです。
この世はすべて根拠と契約があってこそ責任が生ずるはずです。
慣例に基づく不文律が標準であってはいけません。多くの人たちは、「ゴミ捨て場は町会が管理するものである」とか「町会に入らないとゴミは捨てられない」という誤解を持っています。
クリーン推進課の言う「ゴミ捨てと町会は関係ない」というのが標準であるはずです。
それなのに、なぜ慣例が優先されてしまうのでしょうか?
日本人特有の「波風立てない」「郷に入れば郷に従う」という考え方にも原因があると思います。果たして周囲に同調することは美徳でしょうか?
中には法律違反や間違ったこと、時代にそぐわないこともあるはずです。
単純に周囲に流されるだけではなく、冷静に一歩立ち止まって考えて見ませんか?
本来入りたくない会に、ゴミという「人質」のために入らざるを得ないとしたら、それは人権侵害ものです。
こうしたことを予防するためにも、東京や福岡など、先進的な都市で導入が進んでいる「戸別回収」を船橋市も早急に導入すべきです。ゴミに関する不平等とトラブルを解消することができます。船橋市が財政的にできないはずがありません。
戸別回収になるとゴミの排出者が明確になり、事業ゴミの流入を抑止し全体のゴミの量が減るので行政側にもメリットがあるはずです。
(追記)2017.1.5
過去の記事にもありますが、クリーン推進課の話では、町会、自治会未加入者がステーションを利用できなくなった場合、利用できるように働きかけるか、その家のために新たなステーションを作るということです。
ゴミのために入会する必要はありません。
不公平なステーション方式から戸別回収にするためには多くの市民の声が必要です。
実際、クリーン推進課も多くの声がないと実現は難しいと言います。
ひとりひとりが声を上げることから始めて行きましょう。まずは知ることです。そして意見を共有し大きな輪にして行きましょう。懇意にしている市議会議員などに働きかけて行くのも有効だと思います。